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何度も出会う教え 「群盲象を評す」|ここからYOGA

何度も出会う教え 「群盲象を評す」

何度も出会う教え 「群盲象を評す」
何度も出会う教え 「群盲象を評す」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(参照ページはこちら

 

群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす、群盲評象)は、数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合う、というインド発祥の寓話。

 

世界に広く広まっている。

 

しかしながら、歴史を経て原義から派生したその通俗的な俚言としての意味は国あるいは地域ごとで異なっている。

真実の多面性や誤謬に対する教訓となっているものが多い。

 

盲人が象を語る、群盲象をなでる(群盲撫象)など、別の呼び名も多い。

その経緯ゆえに、『木を見て森を見ず』 と同様の意味で用いられることがある。

 

また、『物事や人物の一部、ないしは一面だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう』 ことの、例えとしても用いられる。

さまざまな思想を背景にして改作されており、ジャイナ教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教などで教訓として使われている。

 

ヨーロッパにも伝わっており、19世紀にはアメリカの詩人ジョン・ゴッドフリー・サックスがこれを主題にした詩を作っている。

 

ヨガの講座でも出てきた教え。

本を読んでいても出てくる教え。

昨夜観た映画でも出てきた教え。

 

何度も出てくると自覚することは、その人にとって大切な教えなのだろう。

確か、このイラストのように、6人の盲人と寓話に出てきたと思う。

 

現代では、視覚障碍者に対しての差別的な表現ということで、いろんな意見も聞かれる。

 

これは、視覚障碍者のことを言っているのではないと思われる。
目が見えていても、一部分しか見えず、そのことしか理解していないにも関わらず、まるですべてのことを理解しているように錯覚していることを指摘しているはずだ。
盲人というのは、たとえであり、決して差別的な意味合いではないだろう。

 

自分は間違えることもある

 

私たち人間というのは、自分が正しいと思う愚かな所がある。
まず、自分もそうかもしれないと自覚しなければならない。

 

自分だけが正しいのではなく、この寓話が教えてくれるように、実は6人の思いは、それぞれその人にとっては、事実で正しいことなのだ。
実際に現実社会でもこんな現象はよくあるのではないだろうか。

 

そんな時、それぞれの人がそれぞれの意見を聞き、それぞれがその人なりに正しいと理解し合い、ひとりでは到底理解できなかったことをたくさんの人が一緒に集うこと、話し合うことで、大きなスケールのことを成し遂げることもできるのではないか。

 

理想論、きれいごとで、片づけてしまわないようにすることが望ましい。
そんなにうまくいくことばかりではないかもしれないが、始めにそう諦めてしまっては、どうしようもない。

 

自分を信じることと同じくらい自分は間違うこともあると、知っておくこと。

そして、自分以外の人を、自分を信じるのと同じように信じられたらよいことではないだろうか。

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