金菱哲宏氏 「自我の置きどころ」の教え

金菱哲宏氏 「自我の置きどころ」の教え
金菱哲宏氏 「自我の置きどころ」の教え

突然ですが、「自我の置きどころ」ということを意識したことはあるでしょうか。

わたしたちは日頃、無意識に「私」を持っています。つまり、自我意識です。この自我意識は一体、何を土台として、どこに存在しているのでしょうか。

 

インド人に対して何らかの先入観を多くの人が持っていると思います。ところが、長くインドに通っていると、インドの人たちの性格というか、国民性のようなものが、少しずつ分かってきます。無論、地域によって差は大きくあると思いますが、私が触れる南インドの人たちは、どこまでも優しく、人を騙して陥れてやろうとするような人には、ほとんど出会いません。

 

日本人もまた、窃盗や強盗などの犯罪は少なく、穏やかな国民性であるといった自己認識が一般的に持たれていると思いますが、「自我の置きどころ」という意味では大きく異なるように感じられます。

 

例えば、日常的に神というものに触れ、言わば神と共に起居するような人たちと、自ら無神論者と信じて疑わない人たちとは、その世界観からして大きく違ってくるはずです。

「わたし」は一体、世界のどのくらいの部分を占めているのか、どのような場所を占めているのか、そのようなことに関する無意識的な感覚が、いわばそれぞれの国の国民性のようなものを形成している気がします。また、この「自我の置きどころ」の感覚が、各個人のふるまいや、価値観にも強く影響しているでしょう。

 

この「自我の置きどころ」をズラす、あるいは相対化することに、ヨーガの真の意義があるのではないでしょうか。

世界と「わたし」との関係、あるいは他者と「わたし」との関係を根底から変えてくれる。

自我意識の存在に気づかせてくれて、それを破壊し、解体し、再構築する力を与えてくれる。

そのようなヨーガの真の力により、苦しみを解きほぐし、そして、自分の生きる意味をきちんと捉えなおすことができるのだと思います。

 

無意識に持っている自我をそのままに、その自我に何かを付け足していくのではなく、「自我の置きどころ」に気づかせてもらえるような形で、ヨーガが実践されていくことを願って已みません。

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