「生きる稽古  死ぬ稽古」

「生きる稽古  死ぬ稽古」
「生きる稽古  死ぬ稽古」

書籍紹介

藤田一照 ・ 伊東昌美 著,『生きる稽古 死ぬ稽古』,日貿出版社,2017年

 

内容紹介

「絶対に分からない“死”を語ることは、 同じく不思議な、“生”を語ることでした」 私たちはいつか死ぬことをわかって今を生きています。 でも、普段から自分が死ぬことを考えて生きている方は少ないでしょう。 “あらためて、死ぬってどういうことなんだろう?” この本は、そんな素朴な疑問をエンディングノートプランナーでイラストレーターをされている伊東昌美さんが、禅僧・藤田一照先生に伺う対話となっています。 人生の旅の果てに待っているイメージの死。ですが藤田先生は、「生と死は紙の裏表みたいなもの」で、「生の中にすでに死は忍び込んでいる」と仰います。 そんな身近な死を語るお二人は、不思議なほど“愉しい”様子でした。 それは、得体の知れない死を語ることが、“今この瞬間を生きている奇跡”を感じるからだったのかもしれません。 そう、死を語ることは生を語ることであったのです。 “どうして私は生きているのだろう?” 一度でもそんなことを考えたことがある方へお薦めします。

(Amazonより引用)

 

切り離すことができない「死」と「生」

藤田一照さんの講演からは、さらに仏教の可能性を感じることができます。

 

そして藤田一照さんの話されることは、すべて違和感なく受け入れることができます。

 

「死」と「生」は、誰もが子供の頃から漠然と考えるテーマではないでしょうか。

 

「死」ということを考えてみるに、いつなんどきとも、不安とか恐怖とかはありませんでした。

 

「生きる」ということを考えると、どうしても「死」を考えないわけにはいきません。

 

死があるからこそ、生きるということがあるので、切り離すことが出来ないのです。

 

ところが、意外とほとんどの人は別のことと捉え、死ぬことを考えない、あるいは、考えたくないと思っているのです。

 

ヨガを通して「死」を考え、「生」に向き合う

ヨガと出会い、続けていると、少しだけ、漠然と考えていたことが形を成していきます。

 

仏教の智慧を教えていただき、さらに考えがひとつの方向に向かって生きられます。

 

「死」は、若いころから考え、自分に問い続ける必要があると思います。

 

そうすることで、「生きる」ことを考え、向き合うことが出来ます。

 

「死」に向き合うと、さらに、答えを求める今の教育にとらわれることなく、、自分に、あるいは、自分で問い続けることが何より大切で、答え・正解を見つけることにはあまり意味がないと気付くことができます。

 

なぜなら、「死」は、誰にもわからないからです。

 

死んだ人が教えててくれることがありません。

 

にもかかわらず、必ず誰しも訪れます。

 

ヨガも、仏教も
教育も学習も
恋愛も結婚も
出産も育児も
生きていく過程のすべては、

 

自分に問い続けることの連続です。

 

そして、

死ぬ稽古を繰り返しているのではないでしょうか?

 

合掌

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